転職した会社は、ツールなどを作成するのが仕事だった。
結構、面白かったのだが、全く仕事が無い日もある。
出勤して仕事なし状態が苦手な私は、
またサボり癖がついた。
あるとき、居住していた部屋に空巣が入る、という事件があり、
警察の事情聴取などで2日休まざるを得ない日もあった。
すると、課長に呼び出され
「どうしてそんなに休むのか。
ウチの課ではやってられない。
プログラム課に異動してもらう」
とのお達し。
前、色んな課の人々との交流会があった折、
プログラマであったことを、自慢そうに話した。
ここからまた、プログラマへの道が開けないか?と
思ったのだ。
しかし、現課長たちから見れば、
「大して仕事もできないくせに、鼻もちならない奴」
という印象を受けたのだろう。
プログラム課では、自分が持っているプログラムの知識など
到底通用しないことが判明した。
テストプログラムで、エクセル関数を使う問題を出されたが、
全く手付かず状態。
弟にやってもらった。
「キミはプログラマだったらしいから、
ソフトのインストールくらいできるだろう」
と言われ、自分のPCの環境設定をしたり、
CDを調べたりするのみ。
益々、仕事は無くなった。
会社に行くのがイヤになった。
こういう時でも、私の見方になってくれる人は数人いて、
優しい声をかけてくれたり、一緒に帰ったりしてくれた。
しかし、昼ごはんも食べる気力が無い。
その頃、前のジムでHIPHOPの発表会に出ることになっていた。
しかし、空き巣事件後、会社に近い板橋方面に引っ越していた
私は、練習に行くのも億劫になった。
余りにも振りができていない。
慰みに、レッスン後、昔やっていたジャズバレエの振りなど
練習し、益々皆の白い眼を浴びる結果となった。
その頃の私は、自分を過大評価していた。
プログラマとしてやっていける
ジャズが踊れるのでHIPHOPもできる
そして、何ひとつ、自分のモノになっていないことに
押しつぶされ、愕然となり・・・
今まで持っていた自分像を全て剥奪された。
ただ、何もできない自分と現実から逃れるため、
ひたすら食べ物のことを考え、過食嘔吐するのみだった。
posted by naka at 17:54| 東京 ☀|
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放浪記(第2章)
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