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2012年11月27日

ゆるーい入院生活

私が入院した先は、会社を辞めた直後に入院した病院。
そこでは、家庭が問題で家にいることのできない思春期の子供や、
「休息」名目で入院しているウツ患者さん、拒食症がひどい患者さん・・・。
色々な患者がいた。

点滴2週間の後、自由になったが退院する気になれなかった。
主治医も退院を勧めることはなかった。
居たいだけ居ればよい、
という感じ。

近くにデイケア施設があり、他の患者さんと行った。
デイケアでは、ギターを習ったりお料理をしてみたり。
ただ、こういうところで知り合った仲間っていうのは、何でも
内内に事を進めようとする。
恋愛も仲間内。親友も仲間内・・・。
そういう体制が嫌いだった。

病院で出される食事は嘔吐。外出は自由なので、過食したいときは
外出し、いつもの過食嘔吐を繰り返す。
1ベッドにミニ冷蔵庫が付いているので、酒や間食をため込み、
消灯後に隠れ食いする・・・。

全然、進歩がなかった。

その上、同世代の仲間が集まり、夜はトランプ三昧。
他の患者が苦情を言うほどの嬌声を挙げ、トランプに熱中した。
毎日が自由だった。

実家にも近かったので、衣服を取りに帰る。
母が出かけていて、洗いものが残っているので片付けていると
父親の罵声。
「入院してるんだから、余計なことするな!」
ムカついて、帰りは過食嘔吐。

8か月くらい入院していたのだが、何の効果もなかった。
少しのことに喚き、絶対切れないハサミで手首を切ってはまた
大騒ぎする、同室の患者にうんざり、イライラし、また過食。

しかも、退院しよう、と決めた矢先、図書館の本を返すために
重い荷物を背負って歩いていたところ、雨のマンホールですべって転び、
ひざを骨折してしまった。

最早私を野放し状態の主治医も、家族もびっくりした。
本人が一番びっくりしたのだから、当然だが。

左足全部をギブスで固定され、全治1か月。

「入院している”目的”ができた」
と、初めて安心し、治療に専念できた。

その頃の私は、治ってないから家にも戻れない、しかし入院していても
全く治らない・・・、という状態で、かなりヤケクソに騒ぎ、
過食嘔吐を続けていたのだ。



posted by naka at 13:42| 東京 ☀| Comment(0) | 放浪記(苦難の日々) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月22日

ストレスからの逃亡

胃がひどい状態になっていることを気に掛けるくせに、
私の夜食はひどかった。
・安ウィスキー(ラッパ飲み)
・アーモンド小魚
・蒸しケーキ
・大きな饅頭
・柿ピー
・ヨーグルト
を、毎晩必ず食べた。酔いにぼんやりしながら。
これが、私の一日の締めくくり
このために生活している。

安ウィスキーに、胃も焼けて悪くなるはずだ。

仕事を土日に持ち帰り、考えて修正するたびに文章が訳分からなくなっている。
先輩のため息。
その頃、最早私には、「胃を守るために何を食べようか」
「夜食の食料がそろうだろうか」ということにのみ頭を悩ませていた。
取説に関わる余裕もなかった。

当然、体重は減っていき、
「ナカちゃん。行っちゃダメ!」
と玄関先で叫ぶ母を後目に出勤。

ついに私は、以前入院したときに世話になり、その後しばらく
クリニックに通っていた女医さんのところに行った。
たまたま、先生は出張中で、別の女医さんが話を聞いてくれ、入院先を
紹介してくれた。
取説は、期日に間に合わなかった。

私は逃げるように入院し、病院の態度の悪さに幻滅して
三日で退院してしまった。

寒い、と思っていた空気が和らぎ、春が訪れていた。

五反田での、ツライ厳しい冬が終わった。

「私もね、入社した頃は辛くてね、休みになるとケーキを20個くらい
食べちゃってたの」
喫茶店で、美しい事務員が語った。
会社に、退職の手続きを取りに行ったとき。
「私・・・、本当はあんなにオドオドした性格じゃないはずなんです。
小さいときから『ちびまる子』みたいな、天然な子供だったんです」
・・・・・でも、なんで、こんなに社員にオドオドし、やりたい仕事だったのに
上手く行かなかったんだろう・・・・・・。

いつも、誰かが助けてくれるって思っていたから?
バイトの頃から、どんな職場にも必ず私の味方がいて、私を助けてくれた。
・・・・この会社は、社員ひとりひとりの個性が強すぎて、
子供の私はビクついて、彷徨うだけだった。
ここで鍛えられれば、素敵な大人になっていただろう。

3ヶ月で体よくクビになり、社会でやっていけない私は、
改めて入院することを考えた。
posted by naka at 14:39| 東京 ☀| Comment(0) | 放浪記(苦難の日々) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月19日

再就職

退院した私は、すぐに就カツを始めた
勉強した医療事務とコンピュータの知識が生かせる仕事を探した。
その頃、医療界では手書きレセプトからレセコン(レセプト処理コンピュータ)への
移行がはやり始めていた。

12月の終わり、薬剤ソフトを作成している会社に、テクニカルライタとして
の就職が決まった。
薬には興味があったので、希望に満ち溢れていた。

五反田にある会社では、私を含む3人の新人が来た。
いづれも男性。
女性は、事務全般をつかさどる美しく派手な女性、もうすぐ産休に入る優しい先輩、
そしてちょっと変わっている先輩、の3人だった。

薬剤ソフトの内容を習い、更新の仕方を学んだ。
私の仕事に関する直接の先輩は、ちょっと変わった先輩
きれいだが、表情が余りない。
機械のように説明していく。
私が覚えきれないと、「ふー」とため息をつく。
気付くと、リンゴをかじりながら、社内を駆け回っている・・。

私は常に周りを気にしていた。
同期の活躍に追いついているか?
皆にどう思われているか?
ドンくさい子って思われたらどうしよう・・・。

やる必要もないのに、コーヒーを入れて皆に配る。
「あなたはたっぷりコーヒーを入れて飲むのが好きなのかもしれないけど、
普通、コーヒーってのは、カップに少し入れればいいの。
 冷めたら不味くなっちゃうでしょ?」

ハキハキと、事務の女性に叱られる。

コピー機に並んでいるとき、後ろのヒト(年嵩の社員)が急いでいるようなので
「お先にどうぞ」と譲る。
「キミはキミの仕事をやっつけることを第一に考えればいいんだ。
こんなことを譲られたって少しも嬉しくない。
そういう態度はかえって腹立たしいよ!」

「時間までに終わらせてみせます!」
「よーし、よくやったぞ!」
同期が褒められている。

私は・・・・。
いつも、だれかに悪口を言われているようで・・・。
この会社で、唯一自己主張できない出来損ないのようで・・・。

それでも、産休間近の先輩は優しかった。
彼女に甘え、取説を書いていた。
ランチは、彼女と変わった先輩と3人で取った。
大抵は、駅中のコンビニで買った小さなお弁当。
誰も、私の食べる量などを気にしないのが嬉しかった。

そう、そこの会社は、社員が自立し、常に自己主張している。
外資系のような所だった。
そいて、自信の無い私は自己主張の仕方など知らなかった。

焦りと慄き・・・。
いつもオドオドし、鳥のように回りをきょろきょろして、
自分の評価を気にしていた。

優しかった先輩が産休に入り、残された取説を作っていく作業は
大変だった。

そして私は、モノを食べると反芻してしまうことを気にかけていた。
胃に優しいものを食べなきゃ。
蒸しパンみたいのはどう?五反田駅ビルのパン屋に売ってるんじゃない?
中華料理屋が多いから、おかゆのランチもあるかもしれない。
昼休みは、五反田駅周辺を歩き回り、食べるものを探し始めた。

能力の壁にぶつかったとき、その不安やストレスを食べることの悩みに
置き換えていたのだ。
 
posted by naka at 11:47| 東京 ☁| Comment(0) | 放浪記(苦難の日々) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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